共に生きる
未来創る
法人の理念は、
「共に生きる未来創る」です。
理念には4つの想いが込められています。
私たちは、身近な人の笑顔を積み重ね、共に生きる社会を目指します。
「共に生きる社会を目指す」という遠い目的を達成するためにどうすれば良いか、それは目の前の身近な人をまず笑顔にすることです。身近な家族、共に働く職員、愛すべき利用者、お世話になっている地域の方々、縁ある人たちが豊かに暮らすことができる先に、共に生きる社会があります。
私たちは、強い思いと実行力を持ち、未来を創り出します
未来を創り出すことは簡単なことではありません。必要なことが2つあります。
一つ目は、強い思いを持つ職員集団になることです。単に給料を得るために働くという動機ではなく、世の中の役に立てるように頑張るぞ、という強い意識を持った職員集団になることです。
二つ目は、勝てる戦略を立てることです。障害福祉分野も近年他業種からの参入が多く見られます。財源である社会保障費にも限界が見えています。ただ、がむしゃらに事業をするのではなく、未来を描ける勝てる戦略の立案が、持続可能な地域福祉には必要です。
私たちは、経営理念を旗印に、ベクトルを揃え突き進みます
強い思いを持つ職員集団をつくる場合も、勝てる戦略を立案して実行していくときも、力強く全体をまとめる旗印としての「経営理念」が必要になります。綱引きと同じで、一人ひとりがバラバラに行動していては力が発揮できません。同じ方向を見て、思いを合わせるからこそ力が発揮されます。
私たちは、福祉事業が社会性の高い活動であることを理解し、自覚します
2000年の介護保険制度、2003年に支援費制度が制定され、家族介護から介護が社会化されました。これは先人の方々の運動のおかげです。制度ができてから四半世紀が経過し、事業としての福祉の色合いが強くなってきたとも感じています。
障害福祉事業は、公共性の高い社会インフラ事業と理解しています。事業がうまく行かないから「やめた」では、障害のある方が安心した生活を送ることはできません。私たち自身が、その自覚を持ち続けることが大切です。
ロゴマークの
意味
日常・無限大
eight「8」は途切れない数字。人とのご縁が途切れない。
数字の8を横にすると、∞(無限大)。人と人との繋がりが無限の可能性を秘めている。
数字の8と∞(無限大)を掛け合わせたのが、ロゴの由来です。
カラフルな色は、1週間の『日常』を表しています。
月曜日は、お月さまの「黄色」。
火曜日は、炎の「オレンジ色」。
水曜日は、水の「水色」。
木曜日は、木の「茶色」。
金曜日は、金の「金色」。
土曜日と日曜日は、カレンダーの青色。と赤色。
無色のえいとマークは、「自分らしさ」。旅行やお出かけなどの『非日常』を表しています。
役割・平和・楽しみ
ひらがなの、ぴ・い・す の文字を使用して、パズルのピースを形作っています。
パズルのピースは、一つひとつ形が違い、一つでも欠けると絵が完成しません。
障害のあるなしに関わらず、固有の存在として役割があることを表しています。
また、平和(Peace)な社会を願う気持ち。 ピースサインをする時のような、楽しい気持ちになってもらえる場所になることを願っています。
自分らしく
その人らしい将来の暮らしのあり方を探して、未来へ向かう想いと経験をつなげていくことをイメージしました。
自分らしく過ごし、一つひとつの経験をふくらませて、将来にむけたみじたくを行っていく。
中央の山なりのマークは、住まいの象徴である屋根でもあり、未来へ向かう矢印とも見えます。
代表あいさつ
一般社団法人eight 代表理事
藤本 貴久
なぜeightをしているのか。
事業への想い
私は小さい頃、自分に自信が持てなかった幼少期を過ごしました。また中学校の時には標準語を話すということで、周囲に馴染めず不登校を経験しました。
そんな中、私は15歳の時に障害のある方々と出会い、何もなかった私に役割を与えてくれました。関わりの中でその人が笑ったり喜んでくれることが「人の役に立っている」という喜びを私自身に感じさせてくれました。
18歳の時、入所施設へ実習に行きました。入所されている方の悲しそうな表情や、自由や楽しみの無い管理された生活を見て、胸を締め付けられました。
25歳の時、アルバイトで働いていた精神科病院で、精神障害のあるご本人を、からかっている状況を見て怒りを覚えました。
27歳の時に関わっていたご家族。障害のある小学生の子どもさんを置いて、母が突然蒸発されました。置き手紙には「私は私の人生を生きていきます」と書かれていました。本人も、母も、家族も苦しい現実を目の当たりにしました。
30歳の時に相談員として入所施設へ行った時、ボランティア時代に関わりのあった女性とバッタリ再会しました。その容姿から辛い生活をされていることが容易に想像できました。
私は障害福祉の方々と出会い、私自身を笑顔にしてもらいました。だから恩送りしたい、一緒に笑顔になりたい。共に生きる世の中にしたいです。
親亡き後も地域で暮らし続けられるようにしたい。社会の差別意識、障害のあるご本人の声を聴けていないことを、私が取り組んでいきます。今は一人ではありません、一緒に取り組んでくれる職員さんがいます。
私は、障害のある方やご家族、地域社会がより暮らしやすい社会を実現します。
そして、障害福祉の魅力を発信し、この事業に携わる職員を幸せにします。私は、私の身近な縁ある人の笑顔と幸せに貢献できる人間になります。